月別アーカイブ: 2011年3月

東京スカイツリー


3月26日仙台から東京へ来る時にみた東京スカイツリー。
首都高速向島6号線から見たスカイツリーです。
隅田川沿いの首都高を走ると今まではアサヒビールの
本社ビルが一番目立っていたのですが、
スカイツリーがにょきにょき伸びてきてからは
どうしてもスカイツリーに目が行ってしまいます。

12月に見たときよりも確実に高くなっているのが遠目でもわかりました。
2010年12月20日のブログをご覧下さい。

3月18日13時34分には最高高さ634mに達したそうです。
覚えやすいように「634」=むさし=武蔵だそうです。
完成は2012年春なんですね、あと1年待たなければならない。
う~~んまだまだ長い道のりですね。
完成までにあと何回首都高を走るのかな?

東北道~浦和料金所~川口線~江北JCT~中央環状線~大橋JCT~渋谷線
だとスカイツリーは見えません。
でも大橋ジャンクションの合流でとても渋滞するので
掲示板の渋滞情報をみて、スカイツリーか大橋ジャンクションか迷って走っています。
まあ私が首都高を運転することはありませんのでご安心下さい。

お買いもの~東京編

実家の片付けも一段落とはいかないものの、
なんせ庭から玄関から風呂から台所からと大掃除みたいなもので
引っ越しよりも大掃除に来たようなものです。

母が8年前に亡くなり、父が頑張っているものですから
なかなか細かいところまで掃除は行き届きません。
東京でもジャージスタイルで農家のおばさんをしています。
マスクもしているので誰に会ってもわからないわ~

近所に買い物に行くことにしました。
仙台や東京ならば車でGO!となるのですが
ここは世田谷、車を出すよりも歩いた方が早いのです。
買う物もたくさんあるので、父の自転車を借りることにしました。
上馬交差点のそばの「オオゼキ」へ久しぶりに行きました。
かなり庶民的なスーパーです・・・
成城石井や紀ノ国屋とは違うので自転車でも安心です!

牛乳やチーズ、パン、納豆も普段通りに並んでいました。
肉、魚もいつもと同じです。照明は一部暗くなっていましたが。

それにしても物の値段が高いのです、さすが世田谷!
私はすっかり田舎者になっています。同じものでもこんなに高い?
地震がおきてから物の値段は上がっているような気もします。
これは気のせい?
そういえば地震のあとは仙台ではお買い物していなかったけ、
仙台と東京では比較できませんが
山形と東京ではやはり山形の方がだんぜん安いような気がするのです。
東京は土地が高いから?その通りですね。スミマセン

仙台ではいまだにコンビニもやっていないそうです。
イトーヨーカドー仙台泉店もようやく3月29日から食料品売り場だけが
再開したと清さんから連絡がありました。
仙台のガソリン事情はまだまだだそうですが、
山形でははじめちゃんがガソリンを3000円分つめたと喜んでいました。

少しずつですが東北も回復の兆しがあります。
サッカーのチャリティー試合もよかったですね。
カズのシュートに感動してしまいました。

渋谷の街

地震で壊れたものは11月末に買ったばかりの液晶テレビ。
テレビが前に倒れて液晶が壊れてしまいました。
転倒防止をしていたと思ったのですが・・・
その他にもいろいろとあるのですが一番痛かったのはテレビでした。

東京に持っていこうと思っていたテレビを仙台に持って行ったので
東京で息子のテレビを買わなくてはならなくなりました。

前置きが長くなりましたが、そんな訳で渋谷の街に行きました。
おばさんはアキバに行きたかったのですが
ちと勇気が出ずに、ホームグラウンドの渋谷に行きました。

渋谷にもヤマダ電機が進出しておりまして、さくらやが閉店していました。
ビックカメラにも立ち寄り、あれこれとみて歩くともう足はくたくた。
仙台と山形で車生活をしているのですっかり足が弱っていました。

渋谷は24歳まで住んでいた街です。
駅から歩いて8分くらいの所だったので渋谷はわが町、ふるさとでした。
今まであった店が突然なくなっていたり、昔ながらの店がまだ営業していたり
すっかりおのぼりさん状態で波に乗って歩くことができなくなっていました。

3月末でエコポイントが終わるのでテレビを買う人は多く
ヤマダ電機の1階のテレビ売り場はけっこうなにぎわいです。
手頃な22型や24型は2台目3台目のテレビとして売れ行きがよく、
これかな?と思った物は売り切れになっていました。
仕方なくまたビックカメラへ・・・
テレビは何とか買えました。お安いのを・・・学生さんは勉強が本分ですから
それって自分が大学生の時を棚に上げていますよね。スミマセン、
息子は私のことを棚ではなく、天竺あたりまで上げているといいます。
天竺って三蔵法師???夏目雅子???
なんか嬉しいです、それってKYらしいです。

渋谷の街は若い人、ビジネスマン、いろいろな人が歩いています。
ここには地震の悲惨さはありません、地震の影もありません。
数人で歌を歌いながら募金を集めている人たちもいましたが
いつもとあまり変わらない街並みです。
ただお店の中を一部電気を消して暗くしているので
わずかに節電の姿勢がみられます。

私も渋谷の街を歩いている時には地震のことを忘れていました。
目先の買い物だけに気が向いてしまい、仙台でのことを忘れているのです。
被災地から遠くなればなるほど自分でさえも忘れてしまうのです。
山形にいる時もそうでした。忘れているのです。
人間はなんて身勝手なのだろうと感じています。
テレビを見ると心が痛むのです。ごめんなさい。

東北自動車道


3月26日土曜日に東京へ向けて東北自動車道を走りました。
4月から東京の大学へ進学する息子の引っ越しを3月11日にしようと思っていたのですが
出かけようと思った30分くらい前に地震が起きました。
私はコートまで着てあわただしく準備をしていました。
その時に揺れたのです!地震でした!

あれから2週間、ガソリンもままならず、東北自動車道も通行止め
飛行機もキャンセル待ち、新幹線は絶望的、バスもキャンセル待ち
なかなか山形から出るのは難しい状態でした。

土日がチャンスと何とかガソリンを調達して山形を出発
仙台で車から降ろした荷物をまた車に積み込んで
仙台泉スマートインターチェンジから乗りました。

仙台南まで渋滞とあったのですが、走っていてその謎が解けました。
消防自動車の長い列です。ナンバーは兵庫県、
たくさんの緊急自動車が左側の車線をずらりと走っているのです。
長野県警のバスもたくさん走っていました。
自衛隊の車両も走っています。
仙台南ICから仙台港の方に分岐していきました。
東松島市や石巻方面に行くのでしょうか?

がんばれ東北と書いた紙を貼っている自動車もみかけました。
タンクローリーも何台もみました。
救援物資搬送中と書いてある車もたくさん走っていました。
いつもの東北自動車道とはかなり違っています。


路面もところどころ補修した跡があり
でこぼこの所もあります。昼間走っていてよかったと思いました。
またSAでは自衛隊の迷彩服をきた人たちがたくさんいて
軽食を買ったり、つかの間の休憩時間を取っているようでした。
お疲れ様です。

多くのSAのガソリンスタンドは道路まで渋滞しており
下り線の宮城に近づくほどその列は長かったです。
また並んでいてもタンクローリー待ちというGAもあったりで
蓮田SA上り線ではガソリン給油で並んでいる車はありませんでした。

三軒茶屋で首都高速を下りてすぐのGAで給油しましたが
都内のGAは並んでいる所などありませんでした。
さらにコンビニに入って驚いたことに
牛乳、卵、食パン、ヨーグルトはありませんでした。
もちろん水はどこにもありません。
東北自動車道のSAのコンビニにも牛乳はありませんでした。
東京もなかなか大変です。

炊きぶかし


「炊きぶかし」というのはいわゆる「おこわ」のことです。
もち米を具と合わせて、せいろで蒸しあげたご飯です。
山形では赤飯のことは「ふかし」
炊き込みご飯のようなおこわを「炊きぶかし」といいます。

写真のおこわの具はマイタケと油揚げ、糸こんにゃくです。
この具をもち米にあわせ一緒に蒸し上げたものです。
最後にマイタケなどを煮た煮汁をご飯の上からかけて
もう一度蒸気がでたら、蒸しあがりです。

おこわというのは難しくてめんどくさいようにも思えますが
もち米さえ8時間くらい水につけておけば
あとは混ぜて蒸かすだけ~の簡単な料理です。
冷蔵庫にある残り物の野菜やキノコを使って作ります。

このおこわ、具はタケノコでも、キノコでもなんでもよく
季節季節で旬の物を入れています。
おこわって何とも言えない歯ごたえと香りがあって
本当に美味しいと思います。
これもきよのちゃんの直伝です。これはマスター済みです!

久しぶりの仙台

地震の翌翌日に山形に避難してきたので
私が仙台に帰ってきたのは12日ぶりでした。
地震の後一人で仙台で生活していた主人でしたが
ガソリン不足のために1度しか山形に帰ってこれませんでした。

少しは片付いているかな?とドアを開けたら・・・・
そのまま・・・いえそれ以上に物が隙間なく床に置いてあるのです。
確か私がでてくる時には少し片づけてきたのに・・・
でもわかったのです。
余震が頻繁にくるのです。山形ではわからないことでした。
だから上に物を乗せておくと落ちてくる心配があるのです。
高いところに置いていたものをすべて床におろしてありました。

寝ている所は何にも置いていないのでさっぱりしているのですが
その分ほかの部屋にしわ寄せが。
わわわ~どこから片づけよう。
高いところにはもう置けないし。
この際物を減らすしかありません。

まずは台所から?居間から?玄関から?
その間にまた余震。

避難している人の気持ちが実感できたのです。
割れた物はすでに片づけてあったのですが

食器棚の中や冷蔵庫の中、などはくちゃくちゃ
掃除機をかけられるありがたさ
小さい破片などはほうきではなかなか片づけることができませんでした。

これで電気がきていなかったらどうなるだろうと思ってしまいました。
被災地にいる方すみません。
大した被害のない私たちでも茫然とすることがあるのですが
家がなかったり、壊れたりしていたらどうだろうと
改めて地震の激しさを感じました。

白菜漬け


3月24日の山形は朝から寒い一日でした。
昼には太陽も出ましたが、
午後3時を過ぎた頃には暗くなって雪が舞い始めました。
秋に収穫した白菜が残り4個になったので最後の白菜漬けを作っています。
正確にはきよのちゃんが漬物を担当してくれています。

まずは白菜の重さを量って、それに対して塩を入れます。
ビールも入れます。青とうがらし(夏に収穫して冷凍した物)などなど
色々入れて重石をびびっびび~~とかけます。→だそうです。

私はまだまだ見てるだけ~♪
自給自足でこの世の中をいきなきゃ。
この白菜は秋に収穫して農機具小屋の2階に上げておいたので
外側の葉を何枚かむけばまだみずみずしいですよ。
ひと冬漬物や鍋やおかずに大活躍した白菜でした。
あとは数個土の中に埋まっています。

本日の調査では山形県のホウレンソウは正常値だったそうです。
でも暖かくなると風向きが変わり南風になるので山形県も・・・
早く何とかおさまって欲しいです。
原発の作業員の方々のおかげです。本当に感謝です。
ありがとうございます。
私たちは見守っているだけしかできません。

お買い物~

お友達の車でお買い物に誘われました。

ご主人の車のガソリンがなくなったので、明日からご主人に車を貸すそうです。
ご主人は山形に通勤しているのでかなりのガソリンを使います。
おじいちゃんの軽の車もほとんど底を尽き、いよいよ自分の車になったと言っています。

それで当分の間のお買い物になったそうです。
スーパーを4件くらい廻るからいっしょにどう?と誘われた訳であります。
ジャ〇コ、ヨー〇ベニ〇ル、おー〇ん(地元スーパー)、マッ〇スバリ〇ー

夜中からガソリンスタンドに並べば買えない訳ではないのですが
東根では車の中に火鉢を持ち込み、一酸化中毒で意識不明になった人や
ガソリンスタンドの車の列にトラックが突っ込み、10数台の車が壊れ
怪我人が出たというニュースもあります。

3月23日午前6時57分の給油の列にトラックが突っ込んだ事故
山形新聞よりお借りしました

また車の中で風邪を引いたという人もたくさんいて
このガソリン事情は車通勤の山形にとって大変な問題になっています。

お買い物の話に戻りますが
どこのスーパーでもだいたいの品物がそろうようになってきました。
牛乳、納豆、豆腐は4件のスーパーでありましたが
4件ともなかったのは食パン、菓子パン、ヨーグルト、バターはありませんでした。
インストアベーカリーも長い列ができ、相変わらずの人気です。
お米の国山形でもパンが食べたいのですね。
お年寄り夫婦がパンを一生懸命探していました。
すっかり食べ物も洋風なってしまった山形県です。

畑の雪かきへ


3月22日は朝からうす曇りのお天気でしたが
午後になると気温も上がり、雪かき虫がうずうずしてきたようです。
さくらんぼ畑の脇に積み上げられた雪の山を何とか片付けたいと
雪かき車を軽トラックに積んで出発していきました。

私の代わりに息子がはじめちゃんと緒に行きました。
1時間ほどで片付けを終了したそうです。
私もカメラマンで行きたかったのですが軽トラックは二人乗り。
他の車はガソリン残りわずかで断念しました。
自転車では遠すぎて着く頃に終ってしまいます・・・

去年だったら3月には雪はほとんどなく、枝拾いも終っていたのに
今年は本当に雪が多く、地震と雪に悩まされる年になりました。

雪かきの次は


3月21日今夜は仙台に向けて帰る日です。
地震の時からずっと洗車をしていなかった私の車を洗ってくれています。
ガソリンは残り少ないので動かすことはないのですが・・・
もちろんその後、自分の車も洗っていました。
車を洗う水は井戸水なので電動ポンプさえ動けば水がでます。
井戸水はかなり便利に使っています。多少鉄分が多いようですが。

夜には清さんが仙台に帰る日です。
仙台ではまだまだ食料品がなかなか買えないので
(開店してすぐだと買えるようですが勤めている人は大変です)
いろいろな物を積んで帰らなければなりません。
すぐに食べられる納豆や牛乳を買いに午前中はスーパーに行ってみました。

スーパーはどこも開店前から行列?なんてことは山形ではありません。
ガソリンスタンドには行列ができていますが、スーパーは普段通りです。
でも納豆も牛乳もお一人様1本とかご家族様1本とか書いてあります。
パンはどこにも見当たりません、きっと被災地に行っているのでしょう。

それでもさすが田舎です。野菜は豊富です。
魚も肉もふだんの80%くらい売り場に置いてあります。
山形の人が並んでいるのはやはり今日も焼き立てパンの売り場でした。
「県外からのお客様、大変遠い所をお越し頂きまして
ありがとうございます」と看板が立ててありました。

やはりレトルト食品や缶詰は地震直後から入荷がないのか
棚にはすき間もけっこうありますが・・・
まずは必要な物を最小限に買います。

午後からは1週間分のお米を炊いて小分けにして、
冷凍できるようにして、缶詰やインスタント味噌汁や
バナナやカレーをもって、夕飯後に出発していきました。
当分は電子レンジだけが頼りです。