私が住んでいるところは東根市長瀞(ながとろ)
でも長瀞といったら秩父の長瀞が頭に浮かぶ人がほとんどです。
私もそうでした。ライン下りできるのかな?なんて思ったりして
観光地を想像しておりました、しかし現実はふつうの田舎の村です。
長瀞は昔昔は沼のような、泥がたまったような、水はけの悪い土地で
長瀞に嫁に行ったらとても大変だ~と言われたそうです。
戦国時代には長瀞城=かりがね城があり、今でも村は碁盤の目になっています。
かりがね城について
鎌倉時代建長年間に西根氏によって築城されたという。
時代が変遷すると最上氏の所領となり、4代目当主最上満家が隠居の為に利用した。
その後は最上満種や最上満宗の居城になったとも、長瀞左衛門尉が本拠を構えたとも言う。
本格的に城郭が整備されるのは最上義光が入城してからである。
元和8年(1622年)に最上氏が改易されると山形藩の所領となり、
鳥居氏、保科氏と城主は変遷する。寛文11年(1671年)、保科氏の転封に伴い天領となり、
幕府が元締陣屋を設置して直轄した。
その後、寛政10年(1798年)に米津氏が武川久喜からこの地に入り、
長瀞藩の長瀞陣屋となった。
長瀞陣屋について
城跡を囲むように堀がめぐらされて、今でも堀で魚釣りもできます。
村の中は家がほとんどで、村の周りに田んぼや畑があります。
ちょっとみると住宅地のようでありますが、本当はじじばば村であります。
ちなみにわがやが建っているところは「大手」=「おで」と発音しています。
大手門があったところだそうです。
秩父の長瀞はライン下りもできるような、岩畳の続くところ
東根の長瀞はお堀でざっこ釣り=さかな釣りができるところ
同じ長瀞とはちょっと、いえ、ずいぶん違っています。