月別アーカイブ: 2011年4月

余震の後の仙台

余震の後の仙台市泉区あたりは、スーパーでも被害があったのですが
9日にはヨークベニマルがいつもと同じ朝10時オープンと頑張っています。
しかしオープン10時前にはすでに駐車場に車がいっぱいで
やはり3月11日の地震の後にまったく食料が買えなかったので
食料に対する仙台市民の不安は相当に残っていると思われます。

今は笑い話ですが大根が1本500円もしたそうです。
3種類の野菜セットが1000円ということもあったそうです。

8日の時点ではガソリンスタンドに長い列ができていましたが
幸い停電が早く復旧したので9日には行列もできていませんでした。

仙台ではようやく梅が開き始め、5分咲きというところでしょうか。
余震のために都市ガスは復旧がまた遅れてしまった所もあります。

今回の余震で泉区の松森ゴミ処理工場では冷却パイプが壊れて
またまたゴミを焼くことができなくなり、またまた仙台市のゴミがあふれて
どうしようもないと全国ニュースで流れました。
家庭ごみはなるべく減らして、すぐに出さなくてもいいものは出さないように言われています。

今回の余震は一度味わった恐怖をもう一度思い出しました。
震災から1が月、初心忘るべからずですね。
気持ちをしっかり引き締めて、またまた頑張っていきます。

電波時計と仙台の春

仙台市泉区では8日14時ころに電気が復旧しました。
同じ泉区でもまだ停電している所があります。
今夜は電気のある安心した夜が迎えられそうです。

停電で見られなかった「果樹園うめつ」のホームページも無事に見られるようになりました。
今回はライフラインの復旧が早かったです。
地震直後に水道が止まらなかったのが一番うれしかったです。
トイレの心配がないからです。
今回も皆さんにたくさんご心配いただきましてありがとうございました。
本当にうれしいです。力になります!

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それで本日の話題電波時計です。

電波時計の電波を出している所は日本で2箇所。
福島県と佐賀県です。ご存じでしたか?

福島県田村市都路町/同双葉郡川内村境界の
  大鷹鳥谷山(おおたかどややま)山頂付近
  標高 約790m
  北緯 37度22分21秒
  東経 140度50分56秒

佐賀県佐賀市 富士町/福岡県糸島市境界の
  羽金山(はがねやま)山頂付近
  標高 約900m
  北緯 33度27分56秒
  東経 130度10分32秒

福島第一原発から約17キロの地点にある「おおたかどや山標準電波送信所」(福島県田村市)は半径20キロ圏内に避難指示がでて職員が退避したために
当分電波の発信の見通しはたたないそうです。
現在は九州からの電波を受信するしかありません。

昨日買った電波時計ですが、いくら強制受信のボタンを押しても受信されません。
今までは簡単に受信できたのですがやはり九州からは難しいようです。
せっかく買った電波掛時計と電波目覚まし時計は手で合わせています。
せめて福島と広島あたりとか関西あたりとか、
福島と九州では離れすぎているような気がして仕方ありません。

私は時計が大好きです。各部屋はもちろんトイレ、洗面所、玄関、台所にも時計を置いています。
子供たちはほとんどビョウーキとあきらめています。
それでもせっせと置いていますが
待ち合わせ時間にぎりぎりになって焦りまくってしまうのです。
何のために時計を置いておくのかと突っ込まれそうです。
スミマセン。

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7日の地震から一夜明けて朝の8時
いつもと時計の表示が違っているのです。
電波を受信している表示がでています!!!!
電気が止まっているので電波が受信できるのかな?
電波掛け時計も電波時計も同じ秒針を指して動いています。
同時に電波を受信したのです。すごい!
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泉区役所の植栽で見つけた開きかけたスイセンです。
他のセイセンはまだ蕾でしたがこの株だけが春が来ていました。
どんなことにも負けないぞというけなげな姿です。
「もう少し耐えよう!耐え抜こう東北!地震に負けるな!」

4月8日の地震のこと

4月7日23時32分 マグニチュード7,4 震度6強

4月8日は清さんの51回目のお誕生日です。
7日の夜はお誕生日だねなんて言いながら8日は朝早く会社に行くのでといって早めに休みました。
私も8日は山形に行く予定だったので、いつもなら12時過ぎに寝るのですが早く寝ました。

ゆらゆらと揺れてだんだんと大きくなって、ある時どすん!と立て揺れになりました。
これはまずい!と立って玄関のドアを開けようと思いましたが
真っ暗で裸足だし、靴下・・・靴下・・・なんて探しているうちに頭の中が真っ白
懐中電灯は昨日片づけたし、電池も抜いたし、なんて思い出して
まずい!
電池の入れ方がわからない、見えないよ~
玄関の外が明るい、非常用電灯が付いている、この下で入れよう、
助かりました。これで懐中電灯が付きました。
ろうそくを出して、お風呂に水をためて、ラジオがない!電池がない!
そうだ単一電池は売り切れだったんだ。

清さんは会社が10日地震後オープン予定だった八文字屋泉店(書店)が心配で、あっという間に車を出して見に行ってしまいました。
今回は食器棚の中のお皿は無事でしたが
砂糖と塩が台所にぶちまけられていました。
大丈夫と思って棚の上に置いたのがいけなかったのです。

懐中電灯を机に置いて、開き扉から落ちてきたものを集め
冷蔵庫から落ちてきた物を拾い、塩と砂糖を何とかしなくては・・・と
またほうきと塵取りを持ち出して集めました。

冷蔵庫のストッパーを買いに行ったのですが売り切れで山形で買えばいいやと思っていたので、これまた失敗でした。
また冷蔵庫の中の物が出てきたのです。

今回は家具がずいぶん動きました。前回は家具が動くよりも
物が落ちてくる方が多かったのですが今回は前回落ちなかったものが落ちたり、前回落ちたものは落ちなかったり、揺れ方によって落ち方もこんなに違うものなのかと思いました。

清さんも1時間ほどで帰ってきて、せっかくオープン前だった店がまたまた大変な状態になりがっくりしていました。
もうビール飲まなきゃ、寝られないよとって、余震の中ビールを飲んでいました。
ラジオは小さい携帯ラジオが車に積んであったのを思い出して聞くことができました。

それにしても忘れた頃にやってくる地震。
もうしちど思い出してしっかりと準備をしなければと思いました。

仙台の様子

久しぶりに仙台市泉区あたりに買い物に行ってきました。
電球が切れかかっているのと、時計が地震で全部落ちて壊れてしまったので、電波時計を買おうと思って出かけました。

ヤマダ電機泉店に行ったのですが入口が閉鎖されていて
開店までには、まだまだ時間がかかるような感じでした。

それでカインズホームに行ってみようと思い、富谷町まで行ってみました。
カインズホームはホームセンターです。富谷町のジャスコのそばに大きなお店があります。
カインズホーム
カインズの駐車場は車でいっぱい、端っこにしか停めるスペースはありませんでした。
停まっている車は軽トラックや普通トラックが多く、いつもとは駐車場の感じが違っていました。
やはりここは地震の被災地に近いんだなと思いました。

店の中は買い物をする人でいっぱいで、
建材を買う人、家財道具を買う人、洗剤などを買う人
たくさんの人たちがこれからの生活を希望を持って切り開いているような活気がありました。

水や飲料などもたくさんあり、地震直後のあの品物がなかったのがウソのようです。
地震後初めてのホームセンターでしたが
仙台も少しずつ今までと同じような生活ができるようになってきました。

カインズホームは東北では宮城、福島しかなく、
山形、秋田、青森、岩手にはありません。
太平洋側と関東地方にはたくさんあるのですが・・・
北海道にはありますが、新潟、富山、石川、福井にもありません、
日本海側には「ムサシ」というホームセンターが強いので
ホームセンター ムサシ
ホームセンター業界でも勢力地図があるのですね。

私は一人でゆっくりホームセンターを巡るのが大好きです。
たまにカインズ~ムサシというホームセンターのはしごもします。

東京都都知事選


こんなポスターの写真を載せてしまったら
公職選挙法違反!なんて捕まってしまうかもしれませんが、ゆるして~
他県に住んでいる私にとっては初めてみるポスターだったので
思わずこっそりカメラをむけてしまいました。ごめんなさい。

石原都知事が選挙に出ることになって選挙の行方どうなるのか。
このお二人の写真が並んで貼ってあります。これは意図的?

原発のこと、東日本大震災のこと、計画停電のこと
いろいろな問題が山積みの東京都の行政です。
私は都民ではないのですがもと都民(30年前)として
首都東京がこれからどうなっていくのか
興味深く見守って行きたいと思っています。

日本の国が国難ともいわれる事態にみまわれています。
こんな時こそ強いリーダーシップを持った人が
日本の国を正しい方向に引っ張って行ってもらいたいと思います。
正しい方向に!間違った方向に行ってはいかんぞよ。

ちなみに仙台市の選挙は延期ですが
お隣の山形県は選挙があります。

高速バス

東北新幹線は東京ー那須塩原までしか走っていません。
仙台に帰るには高速バスを使うのが便利です。
しかしけっこう予約は満席に近く、どうしようかと迷って
あちこちインターネットを見ていました。
そこで見つけたのがバスサガスというサイト。
バスサガス
このサイトで旅の散策ツアーを探すと4000円が3500円になるのです。
ちょっと不思議!

3列シートで仙台まで3500円という安さ、座席も広くてリクライニングも
140度も倒れて足もゆっくり伸ばせて最高のバスでした。
ぜひこの写真を見て下さい↓
3列シート
とってもすてきな車内なのでぜひクリックしてご覧下さい。
トイレは付いていない3列シートでした。
夜便だとトイレ付もいいですよね。
でもトイレ付きだとバス代は4000~5000円くらいになります。
3500円は魅力ですよね、シートもフットレストやひざかけもついています。
また女性同士が隣りになるように配慮されていて
この日は男性は後ろの方に座っていました。男性は1/3ほどでした。

16時に東京駅八重洲口を出て、仙台駅東口に21時20分に到着、
時間どおりで、休憩も羽生PAで20分、あだたらSAで20分
サービスエリアで夕飯を買ったり、お土産を見て歩いたり
とてもお得なバス旅でした。


東京駅八重洲口ヤンマービル前の乗り場
運転手さんが荷物を入れたり、座席を確認してくれたり一人で大活躍
とても感じのいい方で、みんなに声をかけてくれていました。

旅の散策バス

もちろん新幹線も開通すれば早くていいのですが
バスの旅もお安いしお得な感じで、とてもいいものですよ~

バスはパンダの絵が書いてあるかわいい水色のバスです。

カフェ ド イシス

自由が丘にある京料理の巨匠 カフェドイシス
住宅地の中にある隠れたお店です。
カフェ ド イシス
おしゃれな店内では素材を生かしたすてきなお料理がでてきます。

1月に銀山温泉に来た友人とその時来られなかった友人6人でランチをしました。
中学高校時代のお友達のお兄さんがやっているお店で
前から一度行きたいと思っていました。
地震の後なので、自粛とも思ったのですが
会える時の会っておかないと・・・仙台にいた私のこともどても心配してくれたので
元気な顔を見せようと思い切ってみんなと待ち合わせをすることにしました。


カフェドイシス ダイニングルーム


お料理ですが
まずは白酒のようなお酒で乾杯、三三九度のようです。
前菜、お椀、そして写真のようなプチフールのような季節のお料理
お皿や色どりがとてもすてきなのです。
もちろんお味も!


デザートは地下のお部屋に移ってゆっくりと頂きました。
ソファーがふかふかでアンティークなインテリアです。


写真はデザートのプレートです。
グレープフルーツのわらびもち、シフォンケーキなど
おしゃべりに夢中になってしまいあっという間に時間がたってしまいました。
近況を報告したり、地震の時の話をしたり、話は尽きません。


帰りに玄関の前で撮影、久しぶりの再会です。
ともに大学時代を過ごした仲間です。

地震の時のこと

ニュースで今回の地震を東日本大震災と統一して呼ぶようにしたと言っていました。
NHKでは東北関東大震災と言っていたのでこの呼び方には
私の中ではちょっと違和感がありまこした。

大正時代の関東大震災とだぶってしまうのです。
関東大震災は大正12年(1923年)9月1日(土曜日)午前11時58分32秒(以下日本時間)、
神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生した
マグニチュード7.9の地震で、死者行方不明者は10万5000人余りとされています。

明治38年生まれの祖母は震災の時には高台の省線(今の山手線)のホームにいて
高台だったのであちこちに火の手が上がるのが見えたという話を何度も聞きました。
ホームに四つん這いになって立っていられなかったことや
やっとの思いで歩いて帰る時にバナナを売っていて
買いたかったのだけれどバナナはとても高くて
そのバナナと金時計をある紳士が交換してしたという話もよくしていました。

その祖母もずいぶん前にあちらの世界に行ってしまったのですが
もう少しいろいろな話を聞いておきたかったと思いました。

今回の東日本大震災では「人のつながり」が地域の再生を促すというテレビをこの頃よく見ます。
地域で一致団結してリーダーを決めて乗り切っている人々たちがたくさんいます。
人間の力は本当にすごいものがあると底力を感じています。

仙台ではアパートの隣に大家さんの家があります。
地震があった時の夜は電気も水道もガスも使えずまっくらな夜でしたが
夕方6時くらいにドアをノックしてくれて
反射ストーブもあるし、温かい豚汁も作ったのでうちにいらっしゃいと1軒1軒声をかけてくれました。
大家さんの玄関の前には夜の間ずっとランタンが照らされていて
真っ暗な中で窓の外に明かりがあるのがとても安心できました。

朝はまたドアをノックしてくれて、温かい炊きたてのおにぎりを持ってきてくれました。
今まで挨拶くらのお付き合いでしたが、本当にうれしかったです。

山形に避難するの時にも家にあるものをみんなで分け合ったり
山形から仙台に戻る時にもまだ仙台は断水していたので
ペットボトルにたくさん水を汲んで大家さんに持って行きました。
下に住んでいる人にもペットボトルのおすそわけをしました。
ほんの気持ちでしたがとても喜ばれました。

山形から仙台に2度目に来た時には
ガソリンがなくて買い物に行けないご老人たちや食糧に困っている方たちに
プロテスタントの教会を通じて物資を運んでもらうプロジェクトに物資を寄付できました。

小さな地域での助け合いがどんなに勇気づけられることか
少しの物でも分け合う、情報を交換することで、客観的に物事を見ることができるなど
普段があまり使われていない危機管理能力が全開するような気がしました。

思い出~隠田神社

23歳まで住んでいた渋谷の思い出をたどっていくと、
穏田神社が浮かんできます。
今もこのあたりは変わらないたたずまいを見せています。

渋谷の隠田神社(おんでんじんじゃ)の社務所の隣りのスペースで
以文教育研究所=以文塾という塾がありました。
角田先生というおじいちゃんが塾長先生で火木土の週3日今でいう学習塾でした。
塾というよりも寺子屋みたいな塾でした。

JKK塾・角田健三先生
こんなに偉い先生だとは…
私は最後の方の教え子でした。卒業して3年くらいで塾は閉塾しました。

大学時代に農家の研修に行きたいと私が言った時にも
先生の息子さんを紹介してくれて千葉の木更津のレタス農家を紹介してくれました。
これが今の私が山形に嫁いだ原点を作ってくれたのです。
そして私が山形に嫁いだのを先生はとても喜んでくれていました。
先生はもうずいぶん前にあちらの国に旅立っておられます。

今でも隠田神社の風景は夢にでてくるのです。
幼稚園の帰り道に寄り道をしたり、学校の帰りに寄り道をしたり
近くに漢方薬の店があり、漢方薬の匂いが今でもよみがえってくるようです。

渋谷界隈、今では裏原宿といわれるようになりましたが
昔は渋谷川が流れ、トロリーバスも走っていました。
その渋谷川も暗渠になり、かつての渋谷女子校は渋谷中学高等学校になり
もうもう、浦島太郎のようにびっくりです。

原宿にもこの穏田神社にも数年行っていませんが
ネットで見るとそのままでとても懐かしい場所です。

ハクモクレンの花


東京ではもうハクモクレンが咲き始めました。

白いモクレンも紫色のモクレンも同じモクレンだと思っていました。
調べてみると
モクレン→ 紫色の花をつける落葉低木、シモクレン(紫木蓮)とも言われる
ハクモクレン → モクレンの仲間で白色の花をつける。しばしば、「モクレン」と混同され、
           白いモクレンでもモクレンと呼ばれることが多い

このモクレンの並木はまだ3分咲きといったところです。
大隈講堂から地下鉄東西線の早稲田駅に向かう道で撮りました。
早稲田大学正門のサクラはうっすらとピンク色で何輪が咲きかけていました。


先を歩くのが姉と弟、早稲田大学の新入学生みたいです。
なんちゃって~違う大学に進学です。
早稲田大学の入学式は5月になったそうです。
だから今はひっそりとした大学界隈です。

この後ろ姿の二人のシャッターを切りながら
巣立ちの季節が来たことを感じました。

親元を離れて巣立っていく二人の姿を見ながら
まだまだ、これからいろいろなことがあると思いますが
まずは自分たちの足で大地に踏ん張って立って歩いていってほしいと思います。
頼もしい姉と弟であります。