23歳まで住んでいた渋谷の思い出をたどっていくと、
穏田神社が浮かんできます。
今もこのあたりは変わらないたたずまいを見せています。
渋谷の隠田神社(おんでんじんじゃ)の社務所の隣りのスペースで
以文教育研究所=以文塾という塾がありました。
角田先生というおじいちゃんが塾長先生で火木土の週3日今でいう学習塾でした。
塾というよりも寺子屋みたいな塾でした。
JKK塾・角田健三先生
こんなに偉い先生だとは…
私は最後の方の教え子でした。卒業して3年くらいで塾は閉塾しました。
大学時代に農家の研修に行きたいと私が言った時にも
先生の息子さんを紹介してくれて千葉の木更津のレタス農家を紹介してくれました。
これが今の私が山形に嫁いだ原点を作ってくれたのです。
そして私が山形に嫁いだのを先生はとても喜んでくれていました。
先生はもうずいぶん前にあちらの国に旅立っておられます。
今でも隠田神社の風景は夢にでてくるのです。
幼稚園の帰り道に寄り道をしたり、学校の帰りに寄り道をしたり
近くに漢方薬の店があり、漢方薬の匂いが今でもよみがえってくるようです。
渋谷界隈、今では裏原宿といわれるようになりましたが
昔は渋谷川が流れ、トロリーバスも走っていました。
その渋谷川も暗渠になり、かつての渋谷女子校は渋谷中学高等学校になり
もうもう、浦島太郎のようにびっくりです。
原宿にもこの穏田神社にも数年行っていませんが
ネットで見るとそのままでとても懐かしい場所です。
私も15歳まで原宿にすんでいました。 今は無き原宿中学校を卒業しました。
以文教育研究所も3年くらい通っていました。
悪さをすると角田先生にビンタをされるのが恒例でした。
何故か体罰ということでは、ありませんでした。
子供心に善悪の判断を教えられたのを憶えています。 悪いことをすれば罰があると。。
久々に私も昔を思い出しました 今54歳です。
野崎さま
コメントをありがとうございました。私は35年生まれですので二つ下でしょうか?
一緒に通っていたお友達は楠田さんの名前しか思い出せませんが。
角田先生は本当に怖い先生でしたね。
私は大学時代は角田先生の息子さんにもお世話になりました。
懐かしい思い出です。野崎さまありがとうございました。
懐かしい記事を見つけて嬉しくなりました。わたしは一番最後の方の
卒業生で、その後同窓会の幹事をしていました(同窓会もいまでは
途絶えてしまいましたが)。
塾の撤収が1994年。
角田先生が亡くなったのが2001年5月ですから、ちょうど20年です。
このタイミングで記事を見つけたのはお導きかもしれません。
こんばんは
昔のブログにコメント頂きましてありがとうございます。
隠田神社は私の渋谷時代の原点です。
同窓会の幹事さんお疲れ様です。
あの頃の友人と一人だけ年賀状のやり取りがあります。
角田先生が亡くなってから20年も経つのですね。
先生のお導き~確かにそうかもしれません。
いつも天の上から私たちを見守ってくれています、きっと!
あの時代に国語の先生から薦められた辞書を今も使っています(笑)
懐かしいな~
ご連絡ありがとうございます。うれしかったです!
久々に先生のお名前を思い出そうとしたら出てこず、隠田神社、以文塾で調べたら、こちらにたどり着きました。
角田先生はお手製の天秤で重さと距離の関係を自分で探させたり、たくさんの読書感想文を書かせたり、竹トンボを木を削るところから研究させたり、学びの多い場所でした。
周りの子達が中学受験をするなか、勉強そのものの楽しさを教えて頂きました。
リンク先も残っておらず、ネットには何も残っていませんが、先生の教えは今も心に息づいています。
以文塾通っていました。不真面目な生徒でしたね・・・
夏に秩父・両神に行ったりしていたのは覚えています。