日別アーカイブ: 2013年9月10日

夏の思い出~八甲田山雪中行軍遭難資料館

この夏の出来事で一番印象に残った所はここ。
ぜひ皆さんに行ってみてほしい所です。

八甲田山雪中行軍遭難資料館  青森市幸畑字阿部野163-4
にあります。青森から八戸に向かう途中に地図で見つけました。
八甲田山雪中行軍遭難資料館
時は日露戦争の2年前の明治35年に
旧青森歩兵隊第五連隊第二大隊が八甲田山中で、
199名の将兵を失う大惨事の様子を展示しています。

新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は就職した時の新人研修で読まされました。
その後映画を見て、リーダーシップとは何かという題でレポート、グループ討議
昔はディスカッションなんて言いませんでした。
その後、映画を何度も見る機会があり、筋書きはばっちり。だと思うけど。

だから地図の中にあった「八甲田山雪中行軍遭難資料館」の文字で
もう行くっきゃない!と車を戻して向かいました。
8月15日だったので何かが呼んでいるような気がしたのです。


「八甲田山雪中行軍遭難資料館」右側に幸畑墓地があります。
写真はネットからお借りしました。八甲田山雪中行軍遭難資料館


資料館の内部です。写真を撮ってはいけないと思ったのですが
なんせ、だ~~~れもいなかったので、ついスミマセン。
8月15日ですよ。
私たちの後、ポツポツとお客さんが来ました。ホッ!

まずは10分ほどの映画を見てだいたいのことを学びます。
小説を読んだことのない人もこれを見ればよくわかります。
実は小説は新田次郎の脚色がたくさんあり、
真実ではない部分もたくさんあることがわかりました。
これについては自衛隊の方でも抗議したそうですが
あくまでも小説なので、この資料館でじっくり学んでほしいということでした。

資料館には実際の行軍の服装、持ち物なども展示してあります。
明治の時代に木綿の服、わらじ、ピクニック気分で出かけたといいます。
軍の偉い人でもラシャの服、生き残った人は当時めずらしいゴム長靴をはいていたそうです。
詳しく資料館の中の様子を書いたブログもあるので
興味のある方はぜひ検索して見て下さい。


幸畑墓苑
写真を撮るのをなぜかはばかられました。
とても神聖な場所なのです。ボランティアガイドの方に説明して頂きました。
暑い暑い日です。今日は終戦記念日、ここに立っている事が不思議です。

上の写真の両脇にこのような白い墓標が立っています。

この写真はネットからお借りました。
亡くなった方はご実家のお墓に埋葬されているので
ここにはお骨は入っていません。墓標だけが立っています・

この墓地の向かって左奥に宮城県人だけの慰霊碑が立っているそうです。
ここにどうしても連れて来たかったとボランティアガイドの方に言われました。
宮城から来た人だけに説明しているそうです。

私たちはこの話を聞きながら、ここに連れてきた人がいると思いました。
資料館をさっと見て八戸に行く予定でしたが
ここにいたのは何と2時間、8月15日です。
何かあると思いませんか?
このお墓はとても不思議な空間でした。
霊とかではなく、パワースポットという言い方ではなく
この話を聞いてもらいたいという願いが私たちを呼んだような気がします。


ボランティアガイドの方と一緒に記念撮影。
1時間以上も炎天下で説明して下さいました。
資料館を見終わってロビーにいたら、ガイドの方から
「墓苑をご案内してもよろしいでしょうか?」と言って下さいました。
ありがたいことです。
いろいろとお話ができて理解が深まりました。
戦争の悲惨さ、軍隊の指揮系統、リーダーシップの大切さ
学んだことが多かった・・・ちと疲れた・・・
これから八戸に行って、八色センターに行って
仙台まで帰りつけるのか実は不安になったのも事実です。

八戸までの近道をボランティアガイドの方に教えてもらい
実際に後藤伍長が立ったまま発見された場所へ ↓

仮死状態で立ったまま発見された後藤伍長の銅像。
ここにはたくさんの人が集まっていました。
声を大きくして叫びたかった
「ぜひ八甲田山雪中行軍遭難資料館に行ってみて下さい~~~」と
でも叫べませんでした。スミマセン。へたれです。

この銅像の後藤伍長が生き残っていたので、
遭難の実態がわかりすぐに救難隊を出すことができたのです。

総勢210名のうち救出された人は17名。
そのうち治療中に亡くなったのは6名だそうです。
わずか3名だけが四肢健全な状態でした。
凍傷で手や足を失った人はその後の兵役を免除され
銅像になった後藤伍長は県会議員になり、
指は凍傷でなくなったのですが
上手に字を書いたり、杯でお酒を飲んでいたそうです。
その他の人たちも地元に戻って地元のために働いたそうです。

その反面、凍傷にならずに回復した人たちはわずか3名で
その後、再び軍に戻り、日露戦争の二百三高地の激戦で戦死しているそうです。

手足を失ってしまったものの、長生きした人たちと戦死した人たち
この後の人生がまったく変わっていくのです。

この記念館ができた時には後藤伍長は馬に乗ってかけつけ
生存していた人たちも全国から集まったそうです。
これらのお話はボランティアガイドの方との質疑応答で教えてもらいました。
本当に有意義な時間でした。
ありがとうございました。

詳しいサイトがあります。