月別アーカイブ: 2013年7月

仙台駅

東京へ帰る息子を仙台駅まで見送りに行った時に
仙台駅はもう七夕の装いでした。

7月29日は安倍総理大臣が石巻に来ていました。
たぶんその帰りの時間が近いのでしょう。
総理がまもなく仙台駅に到着のようで
警察官や私服の刑事さん、見物人などで仙台駅はごったがえしておりました。
みどりの窓口も長蛇の列・・・もっと早く出てくればよかったね~
なんて後悔しても仕方ありません。


七夕飾りを見ると昨年、娘の晴華がアメリカに行く前に
仙台に帰ってきたことを思い出します。
1年あっという間です。


こちらはauの七夕飾り、
上の写真の右奥は赤と白の味の素
それぞれの企業カラーで目立っています。

腰の痛さもちょっと忘れてしまった、久しぶりの外出でありました。

豆畑

7月18日の山形豪雨で畑にも被害が出ました。
まだ水の引いていない豆畑の写真です。
↓

排水のよくない、畑にたまった水はなかなか引きません。
この豆は9月の初めころに収穫できる「秘伝」という枝豆で
枝豆の中では晩生(おくて)の品種です。


写真奥が最上川の堤防です。
他の畑は水があまりありませんが、
土の上に立つとフカフカというよりもびちゃびちゃです。
長靴の方がよかった~という感じです。

早く水が引かないと腐ってしまいます。
この畑はとくに水はけが悪いようです。
ちなみに家の畑ではないので(すみません勝手に撮影しました)

山形洪水の爪あと

7月の豪雨の爪跡の残る最上川にようやく行くことができました。

実は7月10日あたりから右ひざあたりに激痛が走り
ずっとがまんしていたのですが、
あまりの痛さに12日に整形外科で受診した結果
椎間板ヘルニアによる右足の激痛という診断がでました。
その後ちょっと安心して、あまり安静にせずに動き回っていたため
ますます痛くなる結果になり、反省をして
豪雨の時からずっと寝たり起きたりの生活をして
仙台で安静生活をしておりました。

息子が26日に帰省して、ちょっと元気がでたので
息子と清さんの運転で山形に2週間ぶりに行ってきました。
車に乗っているだけでも腰も足も痛いのですが
重いものを持たない、あまり動き回らないというお約束で
山形に連れて行ってもらいました。

清さんが畑を見に行くのに便乗して最上川の堤防に行ってみました。
↓

堤防から見る最上川です。
写真奥が村山市、手前の堤防のそばにラフランス畑があります。
毎日雨が降っているので
川の水は濁り、茶色になって轟々と流れています。


最上川の村山市河島にある水位計です。
水防団待機水位 15.10m
はん濫注意水位 16.20m
避難判断水位      -m
はん濫危険水位    -m
と書いてあるそうです。
↓
最上川水系 稲下水位局の情報
このような水位計があるのも初めて知りました。
何度もここを通っているのに。

よくよく見ると木の葉っぱが白くなっているラインがあります。
ここまで水が来たのですね~想像ができませんが・・・
そこで確認です。

村山市河島の山形新聞ヘリからの写真があります。
写真を撮ったのは、写真の左端くらいの所です。
写真真ん中の白い3本アーチの建物が最上川の水門です。

本当だったら、すぐにでも駆けつけて
豪雨の様子や畑の様子を確認したかったのですが
体が言うことをきかず、痛みの辛さがよくよくわかりました。
今もまだ痛みと闘っておりますが、無理をせず
秋までには良くなりたいと思っています。

文庫屋大関の財布

野球の話題がずっと続いたので
ちょっと話題を変えて~

20年ほど前に岡山に転勤になった友人から
白革細工の印鑑入れをもらいました。
それから白革の魅力にはまってしまいました。
いつか岡山に行って白革細工を見たいな~と思っています。

東京に住む叔母がこの文庫屋大関の財布を持っていたのをみて
白革の魅力がよみがえってきて、ずっとネットで探していました。
↓
文庫屋大関のホームページ
いつ見ても売り切れが多く、気にいった柄はなかなか買えませんでした。
どれにしようか、迷いに迷ったあげく、一番人気のあるこの柄にしてしまいました。


↑ こちらは花菱(はなびし)という名前です。

他にも小花、桜ちらし、枝垂れ花鳥などなど私の好きな柄ばかりです。
みんな欲しくなってしまいます・・・


とくに欲しかったのは中が白ではなく
ワインレッドのもので、探して5月頃にようやく買えました。

ずっとアップする機会がなく、今になってしまいましたが
だんだん手になじんできて、使いやすくなりました。

いざ甲子園へ

7月26日午後1時から、山形県の中山にある山形県野球場で
全国高校野球山形県大会の決勝戦が行われました。

息子の母校、日本大学山形高校と米沢中央高校です。
両校とも私立の高校です。
息子が在学していた3年間+卒業後の2年間は甲子園に行けませんでした。
6年ぶりに甲子園への切符を手にしました。
監督は6年前と同じ荒木監督41歳です。

ちょうど帰省していた息子が応援に行きました。

7-3 ホームランも出て打ちまくりました!
試合終了の挨拶の写真です。
息子が撮影してきたのをもらいました。

山形新聞電子版←クリックすると見られます。

帰りに野球場の出口でこんなものをもらったそうです。
↓

すでに印刷してあるのですね。
きっと両方の高校の分が印刷してあるのでしょう。

すごい!
いい記念になりました。
部屋に飾ってあります。
きっと現役だったらもっとうれしいことでしょう。

帰りがけにはもう優勝の垂れ幕が出ていたそうです。

よ~く見ると、学校名の所は貼ってあるそうです。
きっと各球場にこの垂れ幕と決勝戦の両校の名前が用意されているのでしょう。

甲子園出場が決まらないとわからないことばかり。
やっぱり現役の時に行きたかったな~
寄付は怖い、ダンナと息子の名前で来るだろうな・・・

雨で順延

7月25日の全国高校野球山形大会決勝は
雨のため26日に順延になりました。

天童市の断水は徐々に解消されていますが
冷たい肉そばで有名な河北町では浄水場で早く水をろ過、消毒するために
いつもより多めに塩素を入れているせいで、
水で蕎麦を洗うことができず、休業するお店が多いそうです。

山形県河北町谷地の一寸亭本店は冷たい肉そばが特に美味しいお店です。


冷たい肉そばのたれが独特で美味しいのです。
お店ごとにたれの味や蕎麦の味が違いますので
自分の好みにあったお店に出会うまで、食べ続けるのがいいと思います。

この夏、冷たい肉そばは「カキイレドキ」なのですが
何とも断水ではどうにもなりません。
食べられないとどうしても食べたいというのが人間であります。
書いているうちにどんどん食べたくなってしまいました。

うれしいニュース

久しぶりにうれしいニュースです。
2013年全国高校野球山形大会で
息子の母校の日本大学山形高校が決勝戦に駒を進めました。
25日米沢中央高校と決勝戦です。これに勝てば甲子園に行けます!

平成18年 早稲田実業のハンカチ王子との対戦でベスト8
平成19年 2回戦敗退 常葉菊川高校と対戦

この時以来甲子園は遠く、息子が在学中は決勝戦まで行くことはありませんでした。
久しぶりに燃える~
応援に行きたい!気持ちです。
(サクランボ終了以来、腰の具合が悪く、安静にしています)
25日は天気が気になりますが、がんばってもらいたいです。

甲子園出場が決まると、必ず来るのが寄付です。(こわ~い)
18年、19年の甲子園出場の時には
卒業生のうちのダンナにも寄付の依頼がきました。
これも楽しみとして応援します!

懐かしい写真を「ぼーいずびーあんびしゃす」さんのサイトからお借りしました。

2010年、息子が高校3年生の時の夏の大会の時の応援の様子です。
この時には準々決勝で負けてしまいました・・・
あまり思い出したくない試合でしたが久しぶりに写真を見ました。
ちょっと懐かしくなりました。

がんばり屋のサクランボ

サクランボの時に撮影したとっておきの1枚です。
↓

普通のサクランボは葉っぱがあるところから実がなるのですが
幹から直接でているサクランボは珍しいのです。
名付けて」「がんばり屋のサクランボ」
枝にしがみついているみたいで、収穫するのがかわいそうなくらいでした。

今年のサクランボの思い出です。

ナスの花

雨が上がって太陽が少し顔を出すと
裏の畑で水に浸かっていたナスも元気になり花が咲いています。


薄紫のナスの花

「親の意見とナスビの花は万に一つの無駄もない」
と山形の母、きよのちゃんがよく言っています。

それほどナスの花はみんな実になるといいます。
またまた雨マークが出ている山形県です。
22日午後から雨が降り続いています。
23日には雨は上がっている山形県東根市です。
早く天候が回復して、夏野菜が収穫ができるようになってほしいです。

土用の丑の日

山形の豪雨で心配だったラフランス畑の心配もようやく一段落で
ホッとひと息・・・
皆様からたくさんのご心配のメールやお電話を頂きまして
本当にありがとうございました。
心から感謝いたします。

食べ物の中で何が一番好き?と聞かれたら
「うなぎ」です。
それもうなぎ屋さんで食べるうな重です。
↓

うな重の写真~イメージです。ネットからお借りしました。
ふっくら、やわらか~食べたいな!

小さい頃、母の実家の仙川(京王線の仙川)に行く時には
仙川商店街にあったうなぎ屋さんから出前を取ってくれました。
今はそのお店もなく、仙川の町もとても変わってしまいました。

父方の祖父もうなぎ好きで、横浜によくうなぎを食べに連れて行ってくれました。
まだ横浜駅にアーケードのある商店街があった頃のお話です。
50年くらい前でしょうか?
東横線に乗って渋谷から横浜まで行くのはちょっとした旅のようでした。
懐かしいな~
もう一度食べたいな~
と思いながら毎年この日を過ごしています。