アーカイブ

4月8日の地震のこと

4月7日23時32分 マグニチュード7,4 震度6強

4月8日は清さんの51回目のお誕生日です。
7日の夜はお誕生日だねなんて言いながら8日は朝早く会社に行くのでといって早めに休みました。
私も8日は山形に行く予定だったので、いつもなら12時過ぎに寝るのですが早く寝ました。

ゆらゆらと揺れてだんだんと大きくなって、ある時どすん!と立て揺れになりました。
これはまずい!と立って玄関のドアを開けようと思いましたが
真っ暗で裸足だし、靴下・・・靴下・・・なんて探しているうちに頭の中が真っ白
懐中電灯は昨日片づけたし、電池も抜いたし、なんて思い出して
まずい!
電池の入れ方がわからない、見えないよ~
玄関の外が明るい、非常用電灯が付いている、この下で入れよう、
助かりました。これで懐中電灯が付きました。
ろうそくを出して、お風呂に水をためて、ラジオがない!電池がない!
そうだ単一電池は売り切れだったんだ。

清さんは会社が10日地震後オープン予定だった八文字屋泉店(書店)が心配で、あっという間に車を出して見に行ってしまいました。
今回は食器棚の中のお皿は無事でしたが
砂糖と塩が台所にぶちまけられていました。
大丈夫と思って棚の上に置いたのがいけなかったのです。

懐中電灯を机に置いて、開き扉から落ちてきたものを集め
冷蔵庫から落ちてきた物を拾い、塩と砂糖を何とかしなくては・・・と
またほうきと塵取りを持ち出して集めました。

冷蔵庫のストッパーを買いに行ったのですが売り切れで山形で買えばいいやと思っていたので、これまた失敗でした。
また冷蔵庫の中の物が出てきたのです。

今回は家具がずいぶん動きました。前回は家具が動くよりも
物が落ちてくる方が多かったのですが今回は前回落ちなかったものが落ちたり、前回落ちたものは落ちなかったり、揺れ方によって落ち方もこんなに違うものなのかと思いました。

清さんも1時間ほどで帰ってきて、せっかくオープン前だった店がまたまた大変な状態になりがっくりしていました。
もうビール飲まなきゃ、寝られないよとって、余震の中ビールを飲んでいました。
ラジオは小さい携帯ラジオが車に積んであったのを思い出して聞くことができました。

それにしても忘れた頃にやってくる地震。
もうしちど思い出してしっかりと準備をしなければと思いました。

仙台の様子

久しぶりに仙台市泉区あたりに買い物に行ってきました。
電球が切れかかっているのと、時計が地震で全部落ちて壊れてしまったので、電波時計を買おうと思って出かけました。

ヤマダ電機泉店に行ったのですが入口が閉鎖されていて
開店までには、まだまだ時間がかかるような感じでした。

それでカインズホームに行ってみようと思い、富谷町まで行ってみました。
カインズホームはホームセンターです。富谷町のジャスコのそばに大きなお店があります。
カインズホーム
カインズの駐車場は車でいっぱい、端っこにしか停めるスペースはありませんでした。
停まっている車は軽トラックや普通トラックが多く、いつもとは駐車場の感じが違っていました。
やはりここは地震の被災地に近いんだなと思いました。

店の中は買い物をする人でいっぱいで、
建材を買う人、家財道具を買う人、洗剤などを買う人
たくさんの人たちがこれからの生活を希望を持って切り開いているような活気がありました。

水や飲料などもたくさんあり、地震直後のあの品物がなかったのがウソのようです。
地震後初めてのホームセンターでしたが
仙台も少しずつ今までと同じような生活ができるようになってきました。

カインズホームは東北では宮城、福島しかなく、
山形、秋田、青森、岩手にはありません。
太平洋側と関東地方にはたくさんあるのですが・・・
北海道にはありますが、新潟、富山、石川、福井にもありません、
日本海側には「ムサシ」というホームセンターが強いので
ホームセンター ムサシ
ホームセンター業界でも勢力地図があるのですね。

私は一人でゆっくりホームセンターを巡るのが大好きです。
たまにカインズ~ムサシというホームセンターのはしごもします。

高速バス

東北新幹線は東京ー那須塩原までしか走っていません。
仙台に帰るには高速バスを使うのが便利です。
しかしけっこう予約は満席に近く、どうしようかと迷って
あちこちインターネットを見ていました。
そこで見つけたのがバスサガスというサイト。
バスサガス
このサイトで旅の散策ツアーを探すと4000円が3500円になるのです。
ちょっと不思議!

3列シートで仙台まで3500円という安さ、座席も広くてリクライニングも
140度も倒れて足もゆっくり伸ばせて最高のバスでした。
ぜひこの写真を見て下さい↓
3列シート
とってもすてきな車内なのでぜひクリックしてご覧下さい。
トイレは付いていない3列シートでした。
夜便だとトイレ付もいいですよね。
でもトイレ付きだとバス代は4000~5000円くらいになります。
3500円は魅力ですよね、シートもフットレストやひざかけもついています。
また女性同士が隣りになるように配慮されていて
この日は男性は後ろの方に座っていました。男性は1/3ほどでした。

16時に東京駅八重洲口を出て、仙台駅東口に21時20分に到着、
時間どおりで、休憩も羽生PAで20分、あだたらSAで20分
サービスエリアで夕飯を買ったり、お土産を見て歩いたり
とてもお得なバス旅でした。


東京駅八重洲口ヤンマービル前の乗り場
運転手さんが荷物を入れたり、座席を確認してくれたり一人で大活躍
とても感じのいい方で、みんなに声をかけてくれていました。

旅の散策バス

もちろん新幹線も開通すれば早くていいのですが
バスの旅もお安いしお得な感じで、とてもいいものですよ~

バスはパンダの絵が書いてあるかわいい水色のバスです。

地震の時のこと

ニュースで今回の地震を東日本大震災と統一して呼ぶようにしたと言っていました。
NHKでは東北関東大震災と言っていたのでこの呼び方には
私の中ではちょっと違和感がありまこした。

大正時代の関東大震災とだぶってしまうのです。
関東大震災は大正12年(1923年)9月1日(土曜日)午前11時58分32秒(以下日本時間)、
神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生した
マグニチュード7.9の地震で、死者行方不明者は10万5000人余りとされています。

明治38年生まれの祖母は震災の時には高台の省線(今の山手線)のホームにいて
高台だったのであちこちに火の手が上がるのが見えたという話を何度も聞きました。
ホームに四つん這いになって立っていられなかったことや
やっとの思いで歩いて帰る時にバナナを売っていて
買いたかったのだけれどバナナはとても高くて
そのバナナと金時計をある紳士が交換してしたという話もよくしていました。

その祖母もずいぶん前にあちらの世界に行ってしまったのですが
もう少しいろいろな話を聞いておきたかったと思いました。

今回の東日本大震災では「人のつながり」が地域の再生を促すというテレビをこの頃よく見ます。
地域で一致団結してリーダーを決めて乗り切っている人々たちがたくさんいます。
人間の力は本当にすごいものがあると底力を感じています。

仙台ではアパートの隣に大家さんの家があります。
地震があった時の夜は電気も水道もガスも使えずまっくらな夜でしたが
夕方6時くらいにドアをノックしてくれて
反射ストーブもあるし、温かい豚汁も作ったのでうちにいらっしゃいと1軒1軒声をかけてくれました。
大家さんの玄関の前には夜の間ずっとランタンが照らされていて
真っ暗な中で窓の外に明かりがあるのがとても安心できました。

朝はまたドアをノックしてくれて、温かい炊きたてのおにぎりを持ってきてくれました。
今まで挨拶くらのお付き合いでしたが、本当にうれしかったです。

山形に避難するの時にも家にあるものをみんなで分け合ったり
山形から仙台に戻る時にもまだ仙台は断水していたので
ペットボトルにたくさん水を汲んで大家さんに持って行きました。
下に住んでいる人にもペットボトルのおすそわけをしました。
ほんの気持ちでしたがとても喜ばれました。

山形から仙台に2度目に来た時には
ガソリンがなくて買い物に行けないご老人たちや食糧に困っている方たちに
プロテスタントの教会を通じて物資を運んでもらうプロジェクトに物資を寄付できました。

小さな地域での助け合いがどんなに勇気づけられることか
少しの物でも分け合う、情報を交換することで、客観的に物事を見ることができるなど
普段があまり使われていない危機管理能力が全開するような気がしました。

お買いもの~東京編

実家の片付けも一段落とはいかないものの、
なんせ庭から玄関から風呂から台所からと大掃除みたいなもので
引っ越しよりも大掃除に来たようなものです。

母が8年前に亡くなり、父が頑張っているものですから
なかなか細かいところまで掃除は行き届きません。
東京でもジャージスタイルで農家のおばさんをしています。
マスクもしているので誰に会ってもわからないわ~

近所に買い物に行くことにしました。
仙台や東京ならば車でGO!となるのですが
ここは世田谷、車を出すよりも歩いた方が早いのです。
買う物もたくさんあるので、父の自転車を借りることにしました。
上馬交差点のそばの「オオゼキ」へ久しぶりに行きました。
かなり庶民的なスーパーです・・・
成城石井や紀ノ国屋とは違うので自転車でも安心です!

牛乳やチーズ、パン、納豆も普段通りに並んでいました。
肉、魚もいつもと同じです。照明は一部暗くなっていましたが。

それにしても物の値段が高いのです、さすが世田谷!
私はすっかり田舎者になっています。同じものでもこんなに高い?
地震がおきてから物の値段は上がっているような気もします。
これは気のせい?
そういえば地震のあとは仙台ではお買い物していなかったけ、
仙台と東京では比較できませんが
山形と東京ではやはり山形の方がだんぜん安いような気がするのです。
東京は土地が高いから?その通りですね。スミマセン

仙台ではいまだにコンビニもやっていないそうです。
イトーヨーカドー仙台泉店もようやく3月29日から食料品売り場だけが
再開したと清さんから連絡がありました。
仙台のガソリン事情はまだまだだそうですが、
山形でははじめちゃんがガソリンを3000円分つめたと喜んでいました。

少しずつですが東北も回復の兆しがあります。
サッカーのチャリティー試合もよかったですね。
カズのシュートに感動してしまいました。

東北自動車道


3月26日土曜日に東京へ向けて東北自動車道を走りました。
4月から東京の大学へ進学する息子の引っ越しを3月11日にしようと思っていたのですが
出かけようと思った30分くらい前に地震が起きました。
私はコートまで着てあわただしく準備をしていました。
その時に揺れたのです!地震でした!

あれから2週間、ガソリンもままならず、東北自動車道も通行止め
飛行機もキャンセル待ち、新幹線は絶望的、バスもキャンセル待ち
なかなか山形から出るのは難しい状態でした。

土日がチャンスと何とかガソリンを調達して山形を出発
仙台で車から降ろした荷物をまた車に積み込んで
仙台泉スマートインターチェンジから乗りました。

仙台南まで渋滞とあったのですが、走っていてその謎が解けました。
消防自動車の長い列です。ナンバーは兵庫県、
たくさんの緊急自動車が左側の車線をずらりと走っているのです。
長野県警のバスもたくさん走っていました。
自衛隊の車両も走っています。
仙台南ICから仙台港の方に分岐していきました。
東松島市や石巻方面に行くのでしょうか?

がんばれ東北と書いた紙を貼っている自動車もみかけました。
タンクローリーも何台もみました。
救援物資搬送中と書いてある車もたくさん走っていました。
いつもの東北自動車道とはかなり違っています。


路面もところどころ補修した跡があり
でこぼこの所もあります。昼間走っていてよかったと思いました。
またSAでは自衛隊の迷彩服をきた人たちがたくさんいて
軽食を買ったり、つかの間の休憩時間を取っているようでした。
お疲れ様です。

多くのSAのガソリンスタンドは道路まで渋滞しており
下り線の宮城に近づくほどその列は長かったです。
また並んでいてもタンクローリー待ちというGAもあったりで
蓮田SA上り線ではガソリン給油で並んでいる車はありませんでした。

三軒茶屋で首都高速を下りてすぐのGAで給油しましたが
都内のGAは並んでいる所などありませんでした。
さらにコンビニに入って驚いたことに
牛乳、卵、食パン、ヨーグルトはありませんでした。
もちろん水はどこにもありません。
東北自動車道のSAのコンビニにも牛乳はありませんでした。
東京もなかなか大変です。

久しぶりの仙台

地震の翌翌日に山形に避難してきたので
私が仙台に帰ってきたのは12日ぶりでした。
地震の後一人で仙台で生活していた主人でしたが
ガソリン不足のために1度しか山形に帰ってこれませんでした。

少しは片付いているかな?とドアを開けたら・・・・
そのまま・・・いえそれ以上に物が隙間なく床に置いてあるのです。
確か私がでてくる時には少し片づけてきたのに・・・
でもわかったのです。
余震が頻繁にくるのです。山形ではわからないことでした。
だから上に物を乗せておくと落ちてくる心配があるのです。
高いところに置いていたものをすべて床におろしてありました。

寝ている所は何にも置いていないのでさっぱりしているのですが
その分ほかの部屋にしわ寄せが。
わわわ~どこから片づけよう。
高いところにはもう置けないし。
この際物を減らすしかありません。

まずは台所から?居間から?玄関から?
その間にまた余震。

避難している人の気持ちが実感できたのです。
割れた物はすでに片づけてあったのですが

食器棚の中や冷蔵庫の中、などはくちゃくちゃ
掃除機をかけられるありがたさ
小さい破片などはほうきではなかなか片づけることができませんでした。

これで電気がきていなかったらどうなるだろうと思ってしまいました。
被災地にいる方すみません。
大した被害のない私たちでも茫然とすることがあるのですが
家がなかったり、壊れたりしていたらどうだろうと
改めて地震の激しさを感じました。

お買い物~

お友達の車でお買い物に誘われました。

ご主人の車のガソリンがなくなったので、明日からご主人に車を貸すそうです。
ご主人は山形に通勤しているのでかなりのガソリンを使います。
おじいちゃんの軽の車もほとんど底を尽き、いよいよ自分の車になったと言っています。

それで当分の間のお買い物になったそうです。
スーパーを4件くらい廻るからいっしょにどう?と誘われた訳であります。
ジャ〇コ、ヨー〇ベニ〇ル、おー〇ん(地元スーパー)、マッ〇スバリ〇ー

夜中からガソリンスタンドに並べば買えない訳ではないのですが
東根では車の中に火鉢を持ち込み、一酸化中毒で意識不明になった人や
ガソリンスタンドの車の列にトラックが突っ込み、10数台の車が壊れ
怪我人が出たというニュースもあります。

3月23日午前6時57分の給油の列にトラックが突っ込んだ事故
山形新聞よりお借りしました

また車の中で風邪を引いたという人もたくさんいて
このガソリン事情は車通勤の山形にとって大変な問題になっています。

お買い物の話に戻りますが
どこのスーパーでもだいたいの品物がそろうようになってきました。
牛乳、納豆、豆腐は4件のスーパーでありましたが
4件ともなかったのは食パン、菓子パン、ヨーグルト、バターはありませんでした。
インストアベーカリーも長い列ができ、相変わらずの人気です。
お米の国山形でもパンが食べたいのですね。
お年寄り夫婦がパンを一生懸命探していました。
すっかり食べ物も洋風なってしまった山形県です。

雪かきの次は


3月21日今夜は仙台に向けて帰る日です。
地震の時からずっと洗車をしていなかった私の車を洗ってくれています。
ガソリンは残り少ないので動かすことはないのですが・・・
もちろんその後、自分の車も洗っていました。
車を洗う水は井戸水なので電動ポンプさえ動けば水がでます。
井戸水はかなり便利に使っています。多少鉄分が多いようですが。

夜には清さんが仙台に帰る日です。
仙台ではまだまだ食料品がなかなか買えないので
(開店してすぐだと買えるようですが勤めている人は大変です)
いろいろな物を積んで帰らなければなりません。
すぐに食べられる納豆や牛乳を買いに午前中はスーパーに行ってみました。

スーパーはどこも開店前から行列?なんてことは山形ではありません。
ガソリンスタンドには行列ができていますが、スーパーは普段通りです。
でも納豆も牛乳もお一人様1本とかご家族様1本とか書いてあります。
パンはどこにも見当たりません、きっと被災地に行っているのでしょう。

それでもさすが田舎です。野菜は豊富です。
魚も肉もふだんの80%くらい売り場に置いてあります。
山形の人が並んでいるのはやはり今日も焼き立てパンの売り場でした。
「県外からのお客様、大変遠い所をお越し頂きまして
ありがとうございます」と看板が立ててありました。

やはりレトルト食品や缶詰は地震直後から入荷がないのか
棚にはすき間もけっこうありますが・・・
まずは必要な物を最小限に買います。

午後からは1週間分のお米を炊いて小分けにして、
冷凍できるようにして、缶詰やインスタント味噌汁や
バナナやカレーをもって、夕飯後に出発していきました。
当分は電子レンジだけが頼りです。

雪かき大好き~2


3月20日は朝から暖かい日になりました。
そのままにしておけば雪は解けるのですが
昨日に清さんが今日ははじめちゃんが雪消しに励んでいます。

はじめちゃんは雪かき機械を出してきて雪を崩して
アスファルトに飛ばして解かしています。
そこまでしなくても・・・今夜の予報は雨ですよ。


親子そろって本当によく似ているな~と思ってしまいました。
山形県人は雪に対するこだわりがとても強いんだな~と思います。
雪が消えると春になるということが体に染み込んでいるのでしょう。

夜には雨になり、努力のかいあって???雪がすっかり解けています。
今日もお疲れ様でした。

ジャスコ新東根店に朝行ってきました。
駐車場は宮城ナンバーの車がずらり!
9時半開店だと思って行ったら10時開店で店の前にはすでに20人ほどが並んでいました。
(宮城に比べたらなんて少ないことか・・・)
開店と同時にみんなが向かっているのはなんとパン屋さんです。
焼きたてのパンを焼いている店です。
あっという間に売り切れに。
あとは牛乳売り場、納豆売り場、卵売り場です。
実は私も納豆と卵がなくて買いにきました。
「お一人様1個」
だいたいの山形県人の傾向が見えました。

カップラーメンやあらゆる物を買っているのはたぶん県外の人でしょう。
カゴに少しの人と大量の人が分かれています。

納豆と卵を無事に買ってレジに並ぶと長蛇の列に・・・
そうか今日はお客様感謝デーだったのです。5%OFFの日です。
ラッキー
でもパンは買えませんでした。
そうか毎日お米ばっかり食べているんですね。