るみの日記」カテゴリーアーカイブ

79歳の同級生

台風18号で倒れてしまった稲があるので
稲刈りが少し早まりそう・・・と
急いで準備を始めています。

はじめちゃんが指を怪我してしまったので
はじめちゃんの同級生のまさしクンがお手伝いに来てくれました。
79歳の同級生同士の絆ってすごいです。
でもみんな若い!
こんなパイプも組み立てちゃうのです。
シルバーパワー恐るべしです。


このパイプは籾すりの時に糠が飛んでしまうので
隣りの家に糠が飛ばないようにするためのものです。
これからシートを張っていきます。
もちろん私はまさしクンのお手伝いです。
18日の山形県東根市は太陽ギラギラの汗タラタラの日でした。
とにかく暑い!
でも79歳を前に弱音ははけない私でありました。

温泉たまご

小さい頃から卵が大好きな私。
一番好きなのは卵焼き、それもお砂糖がたくさん入っている
お寿司屋さん風の卵焼きが好きです。

山形の母が作ってくれる温泉卵は朝食に最高です。
山形にある温泉たまごを作る機械?は相当年季の入った年代物。
一度に5個作れるので、二人暮らしの仙台ではちょっと多いかな?
ネットで2個作れるものを見つけました。


ネットで380円
送料は700円と送料の方が高いのは????
そこではじめちゃんの妹のおばさんの分と2つ買うことにしました。
おばさんも簡単に作れると大喜び。送料も半分ずつにすることができました。
これがとってもいい!
家でも温泉たまごが美味しく食べれられます。

台風18号

日本列島に甚大な被害を出して駆け抜けていった台風18号ですが
皆さまのお住まいのところでは被害などはありませんでしたでしょうか?

山形県東根市では朝は太陽も顔を出しましたが
8時くらいからポツポツと雨が降り出しましたが
それほど強い雨にはならず、降ったりやんだりでした。
14時くらいから雨脚が強くなり、窓を打ち付ける雨になりました。
風もでてきて、台風らしくなりました(すみません)

15時過ぎに雨風が少し弱まってきたので
軽トラックにはじめちゃんと乗って
畑や田んぼの見回りに行きました。

稲が倒れている田んぼがあります。
ラフランス畑では数十個、風でラフランスが落果しています。
リンゴは数個の落果ですみました。

写真を撮りたかったのですがフロントガラスは雨だらけ
外に出るのは勇気がいるくらいの雨です。
この時点での写真撮影は断念です。
それでは申し訳ないので
16日朝まだ雨が降り始めの頃に撮った写真です ↓

雨に濡れた稲です。
ますます重そうにこうべを垂れています。

昴林(こうりん)の葉っぱ取り

9月15日も霧雨としとしと雨の山形県東根市でした。
夕方から雨も上がり、月もでて穏やかな夜でした。
9月16日朝も雨はまだ降っていません。
台風の影響ができるだけ無いように祈るばかりです。

台風の来ない前にリンゴの葉っぱ取りという作業をしました。
昴林(こうりん)というリンゴは山形県天童市の民間で誕生した品種で
有名なふじを母に持つ中間品種です。
中間品種とは早生品種と晩生品種の間という意味です。

この昴林は今年初めて果樹園うめつで収穫できるリンゴです。
収穫の前にやることがあります。
まずはリンゴにかかっている葉っぱを取って日光を充分に当たるようにしてやること。
その次には「玉まわし」と言って、裏側になっている方を日光が当たる方に回転するのです。
こんな仕事があったのかと思いました。
リンゴとラフランスではかなり違いますね。
私もびっくりです。


葉っぱを取る前のリンゴ。
リンゴに葉っぱがかかっていて、全体に赤くならない。
これらの作業は20数年リンゴ農家のお手伝いに行っている
キヨノちゃんの姪っ子さんから指導を受けています。


葉っぱを取った後のリンゴ。
これでお日様の光は充分に当たります。

収穫は9月末~10月初めです。
昴林 5キロ(16~18玉)を1500円、送料640円(関東、東北)で
販売する予定です。ご家庭用もでます。
もしよかったらご連絡下さい。
ホームページのTOPの右上の注文ボタンからもご注文できます。
9月20日頃からです。

大根畑の除草

今年は雨が多かったせいか、大根の種を蒔いた畑に
びっしりと草が生えてしまいました。


畝の上に大根の小さな葉っぱが見えますが
畝の両側は「ひょう」という雑草ばびっしりと生えています。
これを草取りを使って手で除草していきます。

草取りに使うこの道具何というのか調べてみました ↓

ねじり鎌というそうです。
キヨノちゃんは「かっつぁき」と呼んでいます。
これでカツカツと草を取るからでしょうか?


↑ 山形では「ひょう」と呼ばれていますが
全国的には「スベリヒユ」または「タコ草」とも言われている害草です。
地下茎でつながっており、除草も容易ではありません。
ひょうの埋土種子の寿命は数十年とも言われ、しぶとい雑草です。

しかしこの「ひょう」は山形では食用として食べられており
幼苗は辛子あえにすることが多く、干したものを冬に食べることもあります。
山形県民は雑草を食べるとケンミンショウで言われました。
若いひょうは酢っぱみが少なく、大きくなるに従って酸っぱくなるそうです。
茹でるとなんと赤くなるそうで、これはびっくりです。
干したものはさっと茹でたものを干すそうです。
夏の雑草を冬のために蓄えておく・・・昔の人の知恵だったのです。
私はまだ食べたことがありません。
これは一度経験してみようかと思っています。


キヨノちゃんと2時間ほどできれいに除草しました。
朝6時から8時くらいまで、涼しいうちにやりました。

それにしても疲れた・・・中腰は腰によくないので膝をついて
最後には両膝をついてほふく前進のように進みました。
秋田=飽きた の三吉さんが来たよ~と言いたくなりました。
↑つまり嫌になったということです。

そこに救いの知らないじいちゃん(私だけが知らない)登場。
ひょうについて講義をしてくれました。

私たちが「ひょう」と言っているのが「おなごひょう」というのだそうです。
おなご=おんな


こちらを「おとこひょう」と言って、おなごよりも手ごわいそうです。
根が深く張って、種がたくさんこぼれてあっという間に広がるそうです。

ひょうにも男と女があるなんて
ひょんなことがあるもんです!人生を学んでしまいました。
そんな訳でこのじいちゃんの講義を聴きながら
(30分くらい講義が続いたので)
講義を聴きながら作業が思いのほか進んだのでした。

おなごひょう、おとこひょう
ほんまかいな?まゆつば?と
知らないじいちゃんを疑って調べてみたら

おなごひょう=スベリヒユ→食べられる
おとこひょう=イヌビユ→食べられない
ということがわかりました。
恐れ入りました!疑って申し訳ございません。

おまけ
片手草かき←2010年6月3日のブログ
以前調べたところによると、「片手草かき」と言うそうですが
「ねじり鎌」も同じだと思われます。

夏の終わりに蒔く野菜

夏の終わりに種をまくもの
キャベツ
白菜
大根
青菜(せいさい) 辛子菜っぱともいいます。
カブ
ほうれん草

白菜、大根、青菜は漬物に使います。
種をまく時期もだいたい毎年同じで
キヨノちゃんにすっかり頼りっきりの私は
ノートに書いておかないと忘れてしまいます。

今はキャベツの畝全体を細かい目の防虫ネットで覆ってしまい
蝶がキャベツの葉っぱに卵を産まないようにしています。
こうすると農薬をまくことが一度もないので本当に安心して野菜が食べられます。


右側の白い覆いが目の細かい防虫ネットです。
まるでカーテンみたいですが、光は90%通します。

農薬をまかなかったら
キャベツは青虫がいっぱい!きゃあ~~~
葉っぱは穴だらけ、葉っぱを1枚1枚取らないと中に虫が・・・
もうこんなキャベツ食べられない・・・ということになります。
毎年なっていました。キャベツを食べるのが怖かった。

おまけ ↓ キャベツを食べちゃうあおむし

こいつがグルメなんです。どんどん葉っぱを食べつくします。
ネットから写真をお借りしました。ありがとうございます。

今年はきれいなキャベツを無農薬で食べることができました。
先日一つ浅漬けにして食べました。
(もちろんキヨノちゃんが作ってくれた浅漬けです)

キャベツの中でも特に甘くて美味しいのは
「みさき」 別名→三角キャベツ

三角の形をしたキャベツです。
キヨノちゃんが一昨年から作り始めたのですが、
あまりの美味しさに家族だけですぐに食べ終わってしまいます。
私も実はもっと食べたいです。

だだちゃ豆ジェラード

だだちゃ豆と言ったら、いまや山形県鶴岡市白山で収穫する
「白山だだちゃ」です。だだちゃ→お父さんのことです。
だだちゃ豆は登録商標なので
だだちゃ豆の種は手に入れることができません。
たとえ手に入れたとしても、
東根市で栽培した豆はだだちゃと名乗ることはできません。
ただの「ちゃまめ」=茶豆になります。

前置きが長くなりましたが
夏休みに行った鶴岡の庄内観光物産会館の
だだちゃ豆ジェラード 300円です。

だだちゃ豆の味というか、枝豆の味がします。
粒々も入っています。あったりまえですが。スミマセン。
清さんはゴマとかだだちゃのアイスクリームやジェラードが大好きですが
私はどちらかというと、1口2口でだけで充分です。
だから1個買えばOK!

この夏はあまりアイスクリームを食べなかったのですが
久しぶりに食べたジェラードでありました。


大きなジェラードの看板がありました。
こういう看板に弱いですよね~
庄内観光物産会館

9月の畑~あれから

9月11日のサクランボ畑です。
9月2日のブログより10日あまり・・・です。

昼間でも虫が鳴いてすっかり秋の気配です。
7月18日の豪雨で枯れそうなサクランボの木3本のうち
1本は完全に枯れてしまったので、「すぐやる課」のはじめちゃんは
私が仙台に帰っている間に切り倒してしまいました。
なんとすばやいのでしょう。

すぐやる課とは、はじめちゃんに付いたあだ名です。
明日でいい~といっても、できる限りすぐにやりたいA型です。
明日お願いします、と言っても、もうやっている・・・ありがたい限りですが
切らなくてもいいのに、と思ってしまう私です。
もしかしたら来年芽がでるかもしれないのに。
見解の相違かな?

残りの2本は何とか生き残っています。

\
葉っぱはずいぶん落ちてしまいましたが
けなげにがんばっています。


葉っぱも以前とあまり変わらない感じです。
枯れている木は葉っぱは縮まって、茶色くなってカラカラになっています。
この葉っぱを見る限り、ダイジョウブそうです。
よかった~

9月2日のサクランボ畑

夏の思い出~八食センター

青森の雪中行軍記念館のあとは山を越えて八戸に行きました。
青森の旅でどうしても清さんが行きたかった場所
八戸 「八食(はっしょく)センター」です。
スミマセン。八色→八食の間違いでした。大変失礼いたしました。

ここでお昼を食べる予定でしたが、すでに時間は13時半。
すっかりお腹もすいて、ちょっとイライラの清さんでした。


八戸 八食センター はっしょくセンター といいます。
八戸の台所、市場と言ったらいいでしょうか?
↓ 
八色センター ←どうぞクリックしてご覧下さい。

ここでお刺身やお寿司、お惣菜などを買って、食べることができます。
8月16日とあってお店の中は人でいっぱい。
名物の魚介類を買って炭火で焼くコーナーは90分待ちでした。
まずはどんなお店があるのか市場の中を歩く歩く・・・
疲れた・・・お腹すいた・・・

私は美味しいお寿司が食べたい。
清さんはじぇじぇじぇのウニが食べたい。
焼き立ての卵焼きもある!
揚げたての手羽先もある!
タコ焼きもある!ダンゴもある!おやつもある!
いろいろ買ってきて空いている席を見つけて食べました。

お腹がチョ~すいていたので、すっかり満足です。
ちょっとお土産も買って、東北自動車道に乗って仙台に帰ります。
延々と魚屋さん、八百屋さん、お惣菜屋さん、お土産やさんなどなど
お店が続くのであります。

夏の思い出~八甲田山雪中行軍遭難資料館

この夏の出来事で一番印象に残った所はここ。
ぜひ皆さんに行ってみてほしい所です。

八甲田山雪中行軍遭難資料館  青森市幸畑字阿部野163-4
にあります。青森から八戸に向かう途中に地図で見つけました。
八甲田山雪中行軍遭難資料館
時は日露戦争の2年前の明治35年に
旧青森歩兵隊第五連隊第二大隊が八甲田山中で、
199名の将兵を失う大惨事の様子を展示しています。

新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は就職した時の新人研修で読まされました。
その後映画を見て、リーダーシップとは何かという題でレポート、グループ討議
昔はディスカッションなんて言いませんでした。
その後、映画を何度も見る機会があり、筋書きはばっちり。だと思うけど。

だから地図の中にあった「八甲田山雪中行軍遭難資料館」の文字で
もう行くっきゃない!と車を戻して向かいました。
8月15日だったので何かが呼んでいるような気がしたのです。


「八甲田山雪中行軍遭難資料館」右側に幸畑墓地があります。
写真はネットからお借りしました。八甲田山雪中行軍遭難資料館


資料館の内部です。写真を撮ってはいけないと思ったのですが
なんせ、だ~~~れもいなかったので、ついスミマセン。
8月15日ですよ。
私たちの後、ポツポツとお客さんが来ました。ホッ!

まずは10分ほどの映画を見てだいたいのことを学びます。
小説を読んだことのない人もこれを見ればよくわかります。
実は小説は新田次郎の脚色がたくさんあり、
真実ではない部分もたくさんあることがわかりました。
これについては自衛隊の方でも抗議したそうですが
あくまでも小説なので、この資料館でじっくり学んでほしいということでした。

資料館には実際の行軍の服装、持ち物なども展示してあります。
明治の時代に木綿の服、わらじ、ピクニック気分で出かけたといいます。
軍の偉い人でもラシャの服、生き残った人は当時めずらしいゴム長靴をはいていたそうです。
詳しく資料館の中の様子を書いたブログもあるので
興味のある方はぜひ検索して見て下さい。


幸畑墓苑
写真を撮るのをなぜかはばかられました。
とても神聖な場所なのです。ボランティアガイドの方に説明して頂きました。
暑い暑い日です。今日は終戦記念日、ここに立っている事が不思議です。

上の写真の両脇にこのような白い墓標が立っています。

この写真はネットからお借りました。
亡くなった方はご実家のお墓に埋葬されているので
ここにはお骨は入っていません。墓標だけが立っています・

この墓地の向かって左奥に宮城県人だけの慰霊碑が立っているそうです。
ここにどうしても連れて来たかったとボランティアガイドの方に言われました。
宮城から来た人だけに説明しているそうです。

私たちはこの話を聞きながら、ここに連れてきた人がいると思いました。
資料館をさっと見て八戸に行く予定でしたが
ここにいたのは何と2時間、8月15日です。
何かあると思いませんか?
このお墓はとても不思議な空間でした。
霊とかではなく、パワースポットという言い方ではなく
この話を聞いてもらいたいという願いが私たちを呼んだような気がします。


ボランティアガイドの方と一緒に記念撮影。
1時間以上も炎天下で説明して下さいました。
資料館を見終わってロビーにいたら、ガイドの方から
「墓苑をご案内してもよろしいでしょうか?」と言って下さいました。
ありがたいことです。
いろいろとお話ができて理解が深まりました。
戦争の悲惨さ、軍隊の指揮系統、リーダーシップの大切さ
学んだことが多かった・・・ちと疲れた・・・
これから八戸に行って、八色センターに行って
仙台まで帰りつけるのか実は不安になったのも事実です。

八戸までの近道をボランティアガイドの方に教えてもらい
実際に後藤伍長が立ったまま発見された場所へ ↓

仮死状態で立ったまま発見された後藤伍長の銅像。
ここにはたくさんの人が集まっていました。
声を大きくして叫びたかった
「ぜひ八甲田山雪中行軍遭難資料館に行ってみて下さい~~~」と
でも叫べませんでした。スミマセン。へたれです。

この銅像の後藤伍長が生き残っていたので、
遭難の実態がわかりすぐに救難隊を出すことができたのです。

総勢210名のうち救出された人は17名。
そのうち治療中に亡くなったのは6名だそうです。
わずか3名だけが四肢健全な状態でした。
凍傷で手や足を失った人はその後の兵役を免除され
銅像になった後藤伍長は県会議員になり、
指は凍傷でなくなったのですが
上手に字を書いたり、杯でお酒を飲んでいたそうです。
その他の人たちも地元に戻って地元のために働いたそうです。

その反面、凍傷にならずに回復した人たちはわずか3名で
その後、再び軍に戻り、日露戦争の二百三高地の激戦で戦死しているそうです。

手足を失ってしまったものの、長生きした人たちと戦死した人たち
この後の人生がまったく変わっていくのです。

この記念館ができた時には後藤伍長は馬に乗ってかけつけ
生存していた人たちも全国から集まったそうです。
これらのお話はボランティアガイドの方との質疑応答で教えてもらいました。
本当に有意義な時間でした。
ありがとうございました。

詳しいサイトがあります。