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母校のクッキー


↑ 母校の文化祭(=記念祭と呼んでいました)のバザーで売っているクッキーです。
人気があり、なかなか買うことができませんが
友人がゲットして送ってくれました。
食べるのはもったいないくらいかわいいのです。

私は小学校~中学校~高校とずっと女子だけの学校に行っていました。
そんなわけで友人は小学校か中学校からずっと一緒
先生もいまだに在職されていたりで、学校に行っても懐かしさいっぱいです。

母校、東京○学館の制服は冬でも白地のセーラー服です。
確か実家にはまだそのまま残っていたと思いますが
もう数十年も見ていません。でもどこかにあるはず・・・
小学校は赤いリボン
中学、高校は紺色のリボンをしめます。
だからいまだにリボンが付いている洋服やスカーフが大好きなのかな?

石鹸


先日の伊豆・三島のプチ同窓会旅行でシュウコのお店で買った石鹸です。
シナモンカフェ 静岡県三島市
「虹色ピンクのしゃぼん玉せっけん」です。限定6個もう作っていないそうです。
私が買った石鹸の匂いはアボガドとラベンダーのせっけんです。
ラベンダーの匂いがとても癒されます。

小学生の頃、匂いのある消しゴムが流行りました。
授業中に消しゴムの匂いばかりをみんながかぐので
匂い消しゴムを持ってくることが禁止になったこともあります。
イチゴの匂い、バナナの匂い、人工的な匂いが子供ごころにとてもうれしかったのです。
新しい消しゴムを友達が持ってきた時にはみんなで匂いをかぎました。
さすが女の子ばかりの学校だ・・・実は私は小学校から女子校です。
高校まで12年間女子校です、セーラー服を着て登校しました。

ラベンダーの匂いは大人になってから知った匂いです。
子供のころはなかったような気がします。

そうそう、そういえば紙せっけんというのもありました。
紙せっけんも流行りました。これもいい匂いがついていました。

渋谷の街

地震で壊れたものは11月末に買ったばかりの液晶テレビ。
テレビが前に倒れて液晶が壊れてしまいました。
転倒防止をしていたと思ったのですが・・・
その他にもいろいろとあるのですが一番痛かったのはテレビでした。

東京に持っていこうと思っていたテレビを仙台に持って行ったので
東京で息子のテレビを買わなくてはならなくなりました。

前置きが長くなりましたが、そんな訳で渋谷の街に行きました。
おばさんはアキバに行きたかったのですが
ちと勇気が出ずに、ホームグラウンドの渋谷に行きました。

渋谷にもヤマダ電機が進出しておりまして、さくらやが閉店していました。
ビックカメラにも立ち寄り、あれこれとみて歩くともう足はくたくた。
仙台と山形で車生活をしているのですっかり足が弱っていました。

渋谷は24歳まで住んでいた街です。
駅から歩いて8分くらいの所だったので渋谷はわが町、ふるさとでした。
今まであった店が突然なくなっていたり、昔ながらの店がまだ営業していたり
すっかりおのぼりさん状態で波に乗って歩くことができなくなっていました。

3月末でエコポイントが終わるのでテレビを買う人は多く
ヤマダ電機の1階のテレビ売り場はけっこうなにぎわいです。
手頃な22型や24型は2台目3台目のテレビとして売れ行きがよく、
これかな?と思った物は売り切れになっていました。
仕方なくまたビックカメラへ・・・
テレビは何とか買えました。お安いのを・・・学生さんは勉強が本分ですから
それって自分が大学生の時を棚に上げていますよね。スミマセン、
息子は私のことを棚ではなく、天竺あたりまで上げているといいます。
天竺って三蔵法師???夏目雅子???
なんか嬉しいです、それってKYらしいです。

渋谷の街は若い人、ビジネスマン、いろいろな人が歩いています。
ここには地震の悲惨さはありません、地震の影もありません。
数人で歌を歌いながら募金を集めている人たちもいましたが
いつもとあまり変わらない街並みです。
ただお店の中を一部電気を消して暗くしているので
わずかに節電の姿勢がみられます。

私も渋谷の街を歩いている時には地震のことを忘れていました。
目先の買い物だけに気が向いてしまい、仙台でのことを忘れているのです。
被災地から遠くなればなるほど自分でさえも忘れてしまうのです。
山形にいる時もそうでした。忘れているのです。
人間はなんて身勝手なのだろうと感じています。
テレビを見ると心が痛むのです。ごめんなさい。

ひなまつり


3月3日のひなまつりにむけて毎年飾るのは私のお雛様です。

私が生まれた時に買ってもらったいわば50年前のお雛様です。
私と一緒に山形にお嫁に来たお雛様なので
娘が生まれた時にも買わずに大切に飾っています。
しかし私が雛人形で遊んだ跡もしっかり残っています。

七段飾りなのですが雛壇が木なので組むのがとても大変。
重い・・・いにしえはすばらしい・・・
が・・・しかし場所をとても取るので寒い寒い「氷雪の間」に飾るしかないので
ちょっとかわいそうですが、一番上のお内裏様だけを毎年茶の間に飾っています。

お道具の菱餅を飾る所になぜか毎回違う物が乗っています。
この写真の日には和菓子でしたが
本日はヤマザキのクリームパンがむきだしで1個ずつのっていました。

ミカンの時もあります。おせんべの時もあります。

92歳で亡くなったひいばあちゃんは初めて飾った時に
お雛様のお膳にご飯をよそおうとしました・・・
仏様のお膳と間違っていたのかもしれましぇん
\(◎o◎)/!ひえ~~~

私は毎日お菓子が何なのか見るのがとても楽しみです。
どんな物が飾られるのか
はじめちゃんときよのちゃんの心遣いがとてもうれしいです。

温泉卓球に燃える


温泉で卓球をして以来、まだ熱がさめやらず
バッティングセンターに卓球場があったのを思い出し
娘が東京に帰る前にもう一度対戦することになりました。

1時間1000円、30分600円。これは温泉と同じ値段でした。
30分でいいかな?と思ってやっていたらあっという間に15分たち
お兄さんに頼んで1時間に変更してもらいました。

ダブルスを組んでやると喧嘩になるので
5ポイントを取ったら「負けたやつが交代」という適当なルールで
どんどんと対戦していきました。
もちろん私も対戦!

ほとんど卓球をやったことがない息子や娘たちよりは
うまい!と思っていた私ですが・・・
息子がボールに回転をかけることを覚えてから
うまく返球できなくなりました。
悔しい!

卓球は思ったよりもずっとカロリー消費されました。
一番燃えたのはもちろん清さんでしたけど・・・

だんご木


だんごの木に色とりどりの餅を飾る作業をするキヨノちゃん。

だんご木まつりという山形県に広く伝わる小正月の行事です。
だんごの木→ミズキの木だそうです。
米粉で作った色とりどりの団子を刺していきます。


フナや小判の飾りも付けてだんご木の完成です。
玄関が華やかになります。
中には1万円札をぶら下げる人もあるとか・・・


梅津家の玄関は四畳半あります。
最初お嫁に見たときにはこんな広い???とびっくりしてしまいました。
田舎の家って無駄が多いんだ~
8畳が3個つながった部屋もあります。結婚式もできますだ!

廊下も広いのでワックスがけも大変です。この頃は私の仕事になりました。
実は私・・・ワックスがけが一番嫌いな仕事です。
これで築30年です。お嫁に来る前に建てた家です。
ホントびっくりお手入れがいいのです。キヨノちゃんの・・・
頭が下がります。


1月10日に行われる山形市の初市では
露天でだんご木が売られています。
発砲スチロールでできている団子もあります。
時代でしょうか~
写真は河北新報よりお借りしました。(宮城県の地方紙です)

ポケモン新幹線


8月17日東京駅でであったポケモン新幹線「こまち」
私は「こまち」ではなく「はやて」の方に乗りましたが
新幹線の清掃を待っている間に
(清掃って10分かからないで折り返しの新幹線になります。すごいですね)
あまりにピカチュウがかわいかったので写真をパチリ!


今,高校3年生の息子はピカチュウ世代第1号、
幼稚園年少の頃からゲームやテレビにはまりまくりました。
シール集めやカード集めにもはまりました。
おもちゃもたくさん買いました。
ピカチュウをみると懐かしくなってしまう母でありました。
2010年ピカ乗りサマーという企画だそうです。
ポケモン新幹線

真室川音頭


山形県東根市はようやく桜が開きました。今3分咲きといったところですが
この雨でずいぶん寒そうにみえます。

ところで東根市の梅の花はすでに盛りを過ぎ、散りそうな感じです。
山形県で梅の里といえば、真室川町。
真室川町は山形県でも一番北にあるので今は満開のようです。

真室川町といったらこれ ↓ 
真室川音頭に「わたしゃ真室川の梅の花 こーりゃ♪」

私が小さい頃東京の祖母(明治38年生まれ)が民謡を習い始めて
最初に歌っていたのがこの真室川音頭でした。
真室川と言うのはどんなところかとこども心に思っていたものですが
まさか山形にお嫁に来るとは思わず、
でも真室川町には数回しか行ったことがありません。
梅が咲くとこの真室川音頭を思い出してしまうのです。

ちなみに「梅は咲いたか桜はまだかいな~」というのは
江戸端歌(はうた)または小唄の「梅は咲いたか」ので出だしの句だそうです。

トロリーバス

私が生まれた頃には家の前を渋谷↔池袋に向かう(たぶんそうだと思われます)
トロリーバスが走っていたのです。
今はトロリーバスというと立山の黒部に行かないと乗れないのですが

遠い記憶でトロリーバスを花で飾った「花電車」なるものを見ました。
幼稚園の折り紙の時間には「さあ花電車を作りましょう」と
先生が言って折り紙を折ったのを覚えています。

今となってはトロリーバスを花で飾った花電車なのか
都電を花で飾った花電車なのか定かではありませんが
私の電車・汽車好きの根源はこのあたりにあるような気がします。

1968年(昭和43年)4月1日 渋谷駅 – 池袋駅廃止とありますので
35年生まれの私は8歳まで毎日みていたことになります。
石畳をはがす工事や架線を取る工事のことは何となく記憶の片隅にあります。


都電の走る渋谷駅 昭和44年頃、懐かしい渋谷駅です。
懐かしの鉄道写真館
↑ 写真は「懐かしの鉄道写真館」よりお借りしました。

昭和の洗濯機

初めて洗濯機を見たのはいつの頃だったろうか?
一つの曹しかなくて搾る時には外側に手まわしローラーが付いていて
洗濯物がノシイカのようになってでてくるのだ。
その光景がうれしくて楽しくていつまでも見ていたような気がする。

それが2曹式になり全自動になりどんどん進化していった。
いまやドラム式の洗濯機が主流?まだうちは全自動ですが…
でも2曹式が一番エコだったような気がする。
最初に白っぽいものを洗って、脱水層に入れて
次に黒っぽい物を洗って~と手間はかかるけど
こんなことを考えている私はどんどんうるさいオバサンになっています。
昭和の洗濯機